カツベン=活動弁士
周防正行監督、約5年ぶりの新作『カツベン!』。
周防監督にインタビューをするのは『終の信託』(2012)以来で、その時は奥様の草刈民代さんと一緒にお話を伺いました。
インタビューとは別に盛り上がったのが、周防監督は神取忍のファンということで、私が親戚であるということが分かり「そんなことある!?」と喜んでくれました。
当然私のことは覚えていらっしゃらなかったけど、最初に自己紹介をすると、「もしかして神取忍の親戚だったりして?」と仰ったので、前回のやり取りを告げ、「俺も変わらないな~(笑)」と、和やかにインタビューがスタートしました。
これまですべて自身のオリジナル脚本で撮ってきた周防監督が、今回初めて別の方の脚本で挑んだ意欲作。
活動写真に語りをつける“活動弁士”。人気の弁士の語り口は鮮やかで、観客は魅了される。『カツベン!』を観たあとは、「こんな時代(大正時代)の映画を劇場で観てみたかった!」と、ちょっと残念な気持ちもありましたが、何より作中の活動弁士の語りにワクワクする気持ちが勝りました。
映画を愛するすべての方に観てもらいたい、日本の映画の黎明期のお話。
周防監督の作品にかける思いを聞きました。
日本映画のはじまりの物語
――周防監督の代表作『Shall we ダンス?』の着想のきっかけは、東横線からダンススタジオが見えたことだったそうですが、今回の『カツベン!』は何がきっかけだったのでしょうか?
周防監督「脚本の片島章三さんが以前から活動弁士の取材をしていたんです。ある時に彼からシナリオを渡されて、読んだら“面白い!これは映画にしないと!”と。それを聞いたプロデューサーが“監督しますか?”と言ってくださった。もともとは脚本ありきです。」
――これまではすべてオリジナル脚本で初めて他の方の脚本での撮影ですが、戸惑いや手を加えたくなったりはしませんでしたか?
周防監督「いやいや、全然!僕は学生時代にサイレント映画を観ていたんですが、サイレント映画は無音で観るものだった。弁士とか音楽は無しで、シーンとした中で、シーンとしたものを、シーンとして観ていたんです。それがサイレント映画の正しい観方だと思っていたんですが、脚本を読んで“なるほどね”と思いました。当時の映画監督はスクリーンの横に弁士が立って、最終的にその映画を弁士が説明して上映されるのをわかっていて作品を作っていた。サイレント映画をサイレントのまま観ていた人は当時どこにもいなかったんだと気づいたんです。」
――日本にですか?
周防監督「海外も生演奏があるので、本当はサイレント映画ってフィルム自体に音を持っていないけど、劇場では音を持っていたんです。なおかつ、活動弁士いう職業は日本だけで成熟した。ヨーロッパやアメリカでも説明した時期もあるのに定着しなった。“何でそんなことになっているの?”という興味が湧きました。」
――確かに、『カツベン!』を拝見して活動弁士にあんなに任されているものだとは知らなかったです。
周防監督「日本にとっての映像文化には“語り”が一緒に入っていたので、観客が何を楽しみにしていたかというと、もちろん、写真が動いているという新しいエンターテインメントに心ときめいたというのは事実なんでしょうけど、映画館に行くときは半分以上は弁士の語りを聞きたいというのが大きかったのでは?と思います。これは世界の映画史的にみてもすごく特殊な環境だった。そのことを日本の人にも、世界の人にも知ってほしい。そして、その活動写真の上映スタイルが映画監督にどんな影響を与えたんだろうということも考えました。」
――周防監督は『カツベン!』を撮ったことで考えは変わりましたか?
周防監督「はい。変わりました。活動弁士は今もいるんですけど、100年前とは全く違うんです。100年以上の映画の歴史の中で、映画がひとつの芸術として、監督の作品として認められているという状況は、たぶん100年前は無いんです。写真が動くという見世物としてスタートしているので、映画が芸術作品だと思っていなかった。だから弁士さんもその映画が本来持っているテーマ性とかストーリーを大事にしようとは思っていないんです。この活動写真を面白く見せるためにはどうしたらよいか、“俺の語りで面白くしてやろう”と。だから、けっこう昔の弁士の方が傲慢なしゃべりのスタイルだったろうと思う。でもそれは、今から見ると傲慢なのであって、当時の人にとってはサービス精神ですよ。今目の前にいる観客を楽しませよう。そのためには本来のストーリーは関係ない。という感じだったと思う。映画がこの100年の歴史の中でどういう風に価値を作り上げてきたかというのが、今は皆知っているけど、それがわからなった時代。まさに“映画の黎明期”というのが面白いと思いましたね。」
――では、映画に描かれている弁士さんの語り口はリアルにあのような感じだったのでしょうか?
周防監督「大正時代だと、まだ音源が無いんですよ。マイクもないですからね。ずいぶん後になって、その時現役だった弁士たちはこんな風に喋っていたという音源があり、それを参考にしました。本当に個性的で、今だったら流行語大賞になるようなフレーズを生み出して人気者になったんです。もう一つは、今活躍してる弁士さんたちも映画史をちゃんと勉強しているし、どんな風に当時の活動弁士が喋っていたのかを分かっているので、彼らに指導をお願いしました。弁士の喋りについては、僕の演出より前に、そういう人たちの力が大きかったです。」
役者のハードル
その活動弁士を演じた主演の成田凌さんはじめ、役者さんたちについても伺った。
――『カツベン!』を観て、成田さんの印象が変わりました。こんなに色々な声を出せるんだとか、語り口もすごく上手でしたし。弁士さんと二人三脚で作り上げたということでしょうか?
周防監督「これは活動弁士メソッドがあるわけではないので、日本の伝統芸能と一緒で、師匠と弟子の関係でずっとやっていただいて、成田さんと高良(健吾)さんは指導者を変えているんです。先ほど言ったように師匠と弟子の関係だから、変えようと思っても本質的なところで似ちゃうと思ったので、先生を変えてみたんです。それぞれの役柄に合わせて喋りを作り上げてもらいました。」
――成田さんはじめキャストの皆さんは100人以上のオーディションで選ばれたそうですが、成田さんのどういうとことが良かったのでしょうか?
周防監督「見た目の印象です。まずは僕が好きになれそうかどうか。1時間会話をして何がわかるんだ、となるじゃないですか、会社の面接と同じようなものだと思いますが(笑)。だから、まず印象としてこの人を自分が好きになれるかどうか。そして、キャラクター、雰囲気。あとは、ちょっとした演技力。でもね、映画の場合、演技力以前に素材としての魅力をやっぱり考えちゃう。もちろん、弁士の台本を渡して読んでいただいたんですが、それは聞きやすいか聞きにくいか程度のこと。そんなに深く細かく喋りのテクニックをみるわけではないです。」
――では、成田さんを見た目で選ばれて、実際に演じてもらって良かったと思われましたか?
周防監督「良かったんですけど、人間の印象なんていい加減なもので(笑)。もっとクールな二枚目かと思ったら、全然三枚目のお茶目な青年でした。そのことが映画にプラスになったので良かったです。特に竹中(直人)さんと芝居を始めたら、お茶目な部分がどんどん出てきて自由に動けるようになりましたね。」
――他の作品の撮影現場で成田さんが演技しているのを見たことがあるのですが、演技に対してとてもストイックで、何度もチャレンジしていました。『カツベン!』の現場ではいかがでしたか?
周防監督「撮影の前に語りのレベルが上がっているのがわかったので安心してやってもらえました。変なつっかえ方さえしなければ、いけるなという感じでした。」
――弁士を演じるのは、ただセリフを言うのよりもかなりレベルが高いことですよね。
周防監督「僕の映画って役者が訓練しなければならないものが多いんですよね。それができると役作りの土台ができた感じになるのかなと思います。越えなければいけないハードルがはっきりするんですよ。そうじゃないと役って本当に難しくて、どこにハードル設定をするのかは監督の一存になるんです。でも今回は明らかに、みんなが聞いていて気持ちのいい喋りだったり、いい声、いいテンポ、というのがなければダメだから、ハードルがはっきりする。そこが役者さんにとって役作りのひとつのヒントなのかなと思います。だから(成田さんは)あの若さで挑戦してクリアしたというのは、彼にとっては大きいのかなと思いますね。」
――常連組の竹中さんや渡辺えりさんも出演されています。やはり安心できるお二人ですか?
周防監督「そうですね、野放しです(笑)。思い返しても、竹中さんは残したかったなというシーンが多いんです。」
――竹中さんのアドリブですか?
周防監督「アドリブです。すごいサービス精神ですよ。現場の皆をまず喜ばせようと思っているんじゃないかな。テストのときから色んなことをしてきます。」
――今回残したかったアドリブシーンとは?
周防監督「黒島(結菜)さんと高良さんが物置に入るところ。映画だと竹中さんが手前を横切って、二人が入っておしまいなんですけど、入った瞬間、竹中さんが顔を覗かせて、もう一回引っ込む。あの覗くシーンは残しておいても良かったかなと思います。あとフレームアウトしたあとに“あぁ~”って落ちる声だけ残す、ですとか(笑)。それに反応する成田さんの芝居もあるんですけど、その前で切っているんです。」
――現場は竹中さんのようなムードメーカーがいてくださると助かりますか?
周防監督「昔から役者さんたちの雰囲気は竹中さんが作ってくれていました。“え?何やってもいいんだ!”という自由な感じを竹中さんが作ってくれる。」
――他の役者さんも影響される?
周防監督「ありますよ。悪い影響は、笑っちゃうこと(笑)。それも含めて楽しいです。」
――全体的に楽しい撮影だったと思いますが、一番印象に残っていることは?
周防監督「すごく素敵な、ずっと見ていたいなというキスシーンを撮りたくて、井上真央さんがそれをやってくれました。ちょっと(キスシーンが)長くないですか?という意見もあったんですが、これは残したい!と言って残しました(笑)。」
――女性が見ても好きなシーンです。男性はもっと喜びますよね?
周防監督「どうでしょう、僕は撮影現場で喜んでいましたけど(笑)。一発OKでしたから!」
エキストラも女優
岐阜県下呂市の芝居小屋で成田さん演じる俊太郎や黒島さん演じる梅子の子供時代の撮影が行われた。
周防監督「なぜ下呂なのかといいますと、昔の映画は見世物をして公開されていたので、見世物小屋や芝居小屋で他の出し物の間に余興として(活動写真を)見せていたんです。専門映画館ができる前はそういう見せ方をしていたんですよ。だから芝居小屋から映画館にうつったところはたくさんあるんです。でも岐阜は芝居小屋がいっぱい残っていて、その中からこの映画に合いそうな場所を選びました。」
――地元エキストラの方もたくさん参加されています。
周防監督「みんな大正時代の人にしか見えなかったです。すごくいい雰囲気でした。現代劇だと季節感だけ伝えて、こんな服を着てきてくださいとエキストラさんにお願いするんですけど、今回は全部こちらで大正時代の着物や化粧を用意しました。それでたぶんエキストラの方たちも普段とは違う自分に出会えて、ちょっとテンションが上がって、役者になったのかな?と思います。この人女優さん?みたいな方もいましたから。僕も撮影現場でワクワクしていました。芝居小屋が(エキストラさんで)埋まっているシーンを見ると、本当に大正時代はこんなんじゃないの?みたいな感じがしました。僕は時代劇は初めてだったので、いつもの現代劇のエキストラさんたちとは明らかに違いましたね。気持ちが違うんでしょうね。」
実は、去年の10月頃、撮影が下呂市で行われるという情報を聞きつけ、エキストラとして参加しようと計画したのですが、集合時間が早朝で参加できませんでした。
周防組の楽しい撮影、映らなくてもいいからいつか参加してみたいです。
12月13日(金)公開
公式HP http://www.katsuben.jp/