まず“知ること”
今回で13回目となる「UNHCR 難民映画祭」。名古屋で開催されるのは去年に続き2回目です。
私は去年この映画祭が名古屋で開催されていたことを知らなかった。
そして、これまで「難民問題」について “知りたい”と思うこともありませんでした。
自分の暮らしている世界以外に特別に思いを馳せることもなかったし、遠い国の支援は、よほど志の高い人でないと出来ない、と自分とは切り離して考えていました。
この映画祭で上映されたような難民問題をストレートに伝える作品でなくても、私が日頃観ている作品にもそういったテーマを含むものも多くあったのですが、見て見ぬふりをしていたのだと思います。
今回、「知る」きっかけとなったのは、SUGIZOさんのTwitterです。
10月6日(土)、『アレッポ 最後の男たち』の上映後にSUGIZOさんのトークイベントが行われると。
もともとLUNA SEAのファンなのでSUGIZOさんが難民問題に取り組んでいらっしゃることは知っていましたが、映画祭のトークイベント、しかも、名古屋で、というなら行かない手はありません。
敬愛するアーティストが尽力していることを知りたい、という思いとともに、
「難民問題」について、知らないなりに、今回知ったことを、映画という私の専門分野を通してなら、私なりに発信できるのでは?と思いました。
「UNTCR 難民映画祭 2018」のキャッチコピーは「観る、という支援。」。
先に書いたように、志が高くないと支援ができない、と思っていた私の中のハードルがグッと下がりました。
そして今回SUGIZOさんのお話を聴いて、「支援する」ということの本質のようなものが見えた気がします。
今回は、トークイベントの模様と、その後のインタビューで伺ったSUGIZOさんの思いをレポートします。
アレッポで何が起きているのか
ドキュメンタリー映画『アレッポ 最後の男たち』は、見て見ぬふりをしてきた私にとって、まさに現実を目の前に叩きつけられる作品だった。
瓦礫の中から生存者を救うため、命を懸け、爆撃地に向かう男たち“ホワイト・ヘルメット”。
シリアの町アレッポは、昼も夜もなく爆撃され、それがもとはどんな町だったのかわからないほど破壊された瓦礫の中で人々は暮らしている。
なぜそこに居続けるのか?そんな危険なところからなぜ逃げてしまわないのか?
色んな感情が頭の中をぐるぐる回って、それを消化しきれないまま、映画は衝撃のうちに幕を閉じた。
きっと、SUGIZOさんのお話を聴かなければ、もっと整理ができないまま今に至っていたと思う。
上映後のシーンと静まり返った会場に登場したSUGIZOさんと、聞き手の武村貴世子さん(国連UNHCR協会広報委員・ラジオDJ)。
――映画を観た感想は?
SUGIZOさん:僕が今まで観た難民にまつわる作品、これまで観た映画の中で、もっともズシンときた作品。絶望的な状況をここまで撮ったファイヤード監督の命懸けの情熱がものすごく突き刺さる作品なので、皆さんにお話しするときにどうやって気持ちを和らげていくかということを考えてきましたね。このままドシンとした気持ちで帰宅されては良くないと思うので、シリアの現状をちゃんと知りながら、どうやって希望につなげていくかというのを、会話のフォーカスに出来たらいいなと思ってきました。
ここまでリアルな迫真の映像で状況が伝わってくるドキュメンタリー作品はなかなか無いですよね。だって、ともすれば監督も命を落としかねない状況で撮っている訳で。そこに感動したのと同時に、一番強く思ったのが、もし僕がいまシリアで内戦の真っ只中にいる現地の男性だとしたら、間違いなく同じことをしたと思う。僕は“ホワイト・ヘルメット”になっていたと思います。
例えば、日本だと震災が起こったら真っ先にボランティアに行きたくなっちゃうタイプ。たぶん“ホワイト・ヘルメット”の皆と同じで、何か困ったことがあると自分がその一助になりたいという意識はとても通ずるものがあって、自分と重ねて観てしまいましたね。
――一番印象に残っているシーンは?
SUGIZOさん:何箇所かあるんですけど、皆でサッカーをしたり、歌ったり、あの状況下にあっても、実は皆笑っている。たくさんそういうシーンがありましたよね。後半で子どもたちと親が一緒に滑り台を滑る。それが逆に僕はまったく理解できなくて、あの状況で普段笑っているんだ、強い人たちだな、と。もしくは、これは言い方がキツいかもしれないですけど、もう何年も内戦の中にいるので、その状況に慣れてしまったのか。それがポジティブな事なのが、状況に対する諦めなのか、それは分からないですけど、もし我々だったら笑えないよね。あの強さというのは感動的ですらありましたね。
――「アレッポから出たら僕は魚と一緒で死んでしまうかもしれない」と言っていたのが印象的でしたね。
SUGIZOさん:本当に印象的だった。で、冒頭と終わりが金魚で、金魚の目玉から始まる映像を観た時にこの作品は絶対にいいと思いましたね。残酷な映像が印象に残る映画なんですけど、実は金魚やお魚をアートワークにしていて、作品としてすごく感動しましたね。
――そういうところがアカデミー賞のドキュメンタリー部門ノミネートに繋がってくるのかもしれないですね。
SUGIZOさん:作品としても素晴らしいよね。廃墟からだんだん引いていくシーンで、変な話ですが、廃墟がアートに見えるよね。ファイヤード監督の芸術家としての監督、活動家として真実を伝えたいと思う情熱家としての監督の二つの面が高レベルに共存しているようなイメージで、これは作品としても本当に素晴らしいと思うと同時に、観る時には気合い入れて観てくださいという作品ですね。
この後、話題は2016年に訪れたヨルダンのシリア難民キャンプでのお話に。
SUGIZOさんが難民キャンプで演奏した時の写真などを紹介しながら、
――SUGIZOさんが演奏した後にシリアの人たちがどんな表情をしていたかというと、この表情。嬉しそうでしたよね。
SUGIZOさん:とても感動的だったのが、皆さん敬虔なムスリムの方たちなので、特に女性は目元しか出していない方も少なくないし、異性の前では感情をあらわにしない文化なので、コンサートが始まる時はシーンとしているんですけど、後半は皆大声を出したり、笑ったり踊ったりしていて、音楽で国境も人種も宗教も超えて心をひとつにすることができるんだなと強く感じた瞬間でしたね。
――そして、子どもたちがSUGIZOさんから離れない。
SUGIZOさん:子どもが好きなんですよ。娘がちっちゃい時に幼稚園に迎えに行くと、子どもがわーと来て、追いかけっこしたり、キックされたりね。で、この時面白かったのが、コンサートが終わった後にお母さんたちが、うちの子を抱っこしてって。難民キャンプなので、皆さん故郷を追われて、苦しい生活を強いられている人たちなんですけど、何故か子どもの目は輝いてるの。自分の状況を知っているのか知らないのか分からないけど、どんな状況下にあっても子どもはね、遊んでるとキラキラしてくるし、嬉しいことがあると素直に表現してくるし、絶望の中の未来を見た感じでしたよね。
その他、「難民キャンプ」といっても様々で、新しくまだ何も無いところや、パレスチナのように70年経ち、一つの街になっているところがあり、それだけの年月が経っても難民問題は解決していないというお話や、現在のアレッポの様子も写真で紹介された。
アレッポではこの9月に、破壊された広場の瓦礫を撤去して、文化イベントが開催され演奏会が行われたそう。映画が撮影された2016年から、わずか2年でこのように再建されたことについて、SUGIZOさんも現地の方のどんな状況でも笑顔でいる強さに感激した様子で、いつかこの演奏に混ざりたいと話した。(しかしまだアレッポでの内戦は終わっていないことにも言及)
トークイベントの最後にSUGIZOさんのメッセージ
SUGIZOさん:何年も「難民映画祭」に関わらせてもらっているのですが、今回の「観る、という支援」というのは素晴らしいなと思って、「観る」=「知る」ということ。我々は感情があるし、生きているし、こういう強烈な映画、強烈な実情を知った時に、無反応でいられるわけないですよね。これを伝えるだけでもいいです。大金を仕送りする必要はない。もちろん余裕のある人はお金や物資を、動ける人は現地に行くでもいい、日本にいる難民の人と活動するのでもいいけど、「知る」ということ、「伝える」ということはとっても大きなことで、実はそこが日本の弱いところ。でも、日本だってこの数年の震災や水害、3.11以降は災害に対する我々の関わり方って変わったと思うんですね。何かあったら自分が出来ることをしたい、手を差し伸べたい。日本で起きていることと、難民の人たちが強いられている生活の苦しさって近いと思う。被災者や、避難所の人たちは家に帰れない、福島の人たちは故郷に帰れない。実は我々は世界中の難民の方たちに対して、最も思いを寄せられる国民だと僕は思っている。でも大きな違いは我々が被害を受けているのは“天災”で、世界中の難民の人は“人災”なんです。だから人災を絶対に起こすべきではない。もうひとつ言えることは、紛争や武器、そこで誰が収益を得て、誰が得をしているのか、そういう事実を学ぶこと。僕も今学び中。まだ世の中には裏があると思う。この映画に登場した人たち全員が戦争を起こして得をしている人たちの被害者です。なので、まず、「知ること」、「調べること」。僕はそういう強い人たちに「NO」を突きつけたい。でもそれ以上に、弱者に、困っている人に対して、手を差し伸べたい、ぬくもりや笑いを届けたいという思いが強いので、デモを起こすよりは、難民の皆さんのもとを訪れて、音楽や食べものや楽しみをシェアしたいと思い、この活動をしています。
180度違う人生
トークイベントの後に15分ほどの短い時間でしたが、SUGIZOさんにインタビューをさせてもらいました。
――今回SUGIZOさんがきっかけで「難民問題」について知ることができたので、私の立場でお伝え出来きることはないかと取材をさせてもらいました。ファンとしても気になるのは、先日X JAPANのライブがあり、明後日はLUNA SEAのライブがあるというお忙しい中で、この「難民支援活動」の位置づけは?
SUGIZOさん:そうですね、これはもう仕事じゃないので、趣味ですよ(笑)。生きがい?生きがいかもしれないですね。音楽は僕のライフワーク。(難民支援は)例えば、家族とともに生きる、生きがい。僕だったら娘。その家族とともに過ごす時間と、実はとても種が近いですね。そこには損得とか、ビジネスとしてのうま味とかは一切関係ない。人としての喜びとか満足感とか。もし娘が病気になったら病院に担ぎ込むじゃないですか。それと変わらないです。
――私たちがそれを自分の生活に落とし込もうとしても、「難民支援」という広い視野にはなかなかならないので、すごいなと思います。
SUGIZOさん:僕が「難民支援」をしたいと思った理由というのは、娘がちっちゃい時、1998年、20年前なんですけど、娘は2歳で、その頃にコソボの紛争でガンガン空爆されていて、今のシリアのような惨状が広がっているコソボで、娘と同年代の子たちが傷ついたり、命を落としたりしている状況を見てしまったんですよね。もちろんそこに居たわけではないですけど。クリントン政権が中立のために空爆するわけですよ。それが甚だ信じられなかった。今のシリアも、一般の市民は命を落とす必要が全く無いわけですよ。本来は紛争自体許してはいけないことですけど、百歩譲って、もしやり合うのだったら、せめて戦闘の訓練を受けた兵士同士でやってよ。でも彼らは見せしめのように街を空爆して、一般人をどんどん殺戮して、子どもたちが命を落とす。それは絶対に許せない。それを20年前に思ったんですよね。
――娘さんがきっかけ?
SUGIZOさん:娘がきっかけですね。娘が小さい時に同年代の子が全員娘と同じように見えてしまったんです。
――それはSUGIZOさんがそれまでバンドマンとしてやってきた中で、そういう感情はなかったんですか?
SUGIZOさん:全くなかったですね。むしろ親になるまでは僕は酷い男だったので。今の僕からすると一番嫌悪するタイプです。
――180度違う?
SUGIZOさん:180度変わりました。まず社会的責任が皆無。そういう意味での自意識も皆無。タバコをバンバン吸って、酒をガンガン飲んで喧嘩をする、酔いつぶれて道端で寝る。そういうタイプだったので、今僕が目の前にいたら、「お前、それは間違ってる!」って言いたいタイプだったんです、娘が生まれるまでは。だから、娘が生まれた時に「大丈夫か?俺の今までの生活で」って。親になった時に色んな事が180度変わって、人として改まった。娘が2歳の頃のコソボの紛争と、その当時に北朝鮮の実情が日本で報道されるようになって、やっぱり小さい子どもが飢えていたり、ドブの水を飲んでいたりするわけ。それ見て、居ても立っても居られなくなって、何故か難民の人たちを支援したいと僕はすぐ繋がって。最初は“フォスター・プラン”を通して子どもたちを支援することだった。ちょうど僕がそういう活動をして、今年で20周年なんですよ。娘もう22歳ですからね。冗談じゃないですよ(笑)。
――現地に行くことで音楽活動にもかなり影響があるんですか?
SUGIZOさん:そうですね。最初は自分の中では結びついてなかったんですけど、結果的には現地でインスパイアされて音楽が生まれたりしているので。ただね、作る音楽がすべて難民の人たちのため、被災地の人たちのため、平和のため、というわけではなくて、くっきり分けているわけじゃないんですけど。でも僕の生活の中で「支援」というのがとっても強く影響しているので、間違いなく自分の目指す音楽にはその影響はあると思うんですけど、自分ではよくわからないな。
――ギターも「SAVE SYRIA(シリア)」と書かれたものを弾いていらっしゃるので、ライブの場でも発信したいという思いはおありですか?
SUGIZOさん:Tシャツみたいなものですよ。Tシャツってメッセージを伝えるお手軽でやりやすい手段でしょ?その延長ですよ。「SAVE PALESTINE(パレスチナ)」と入れようと思ったら長すぎて入らなかった(笑)。Tシャツも昔着ましたけど、それに近い感覚ですかね。
――身につけるものとして、ということですね。
SUGIZOさん:そうですね。今回「ガイア」って衣装を着たんですけど、あれは外から見た美しい地球と、中は紛争で難民が苦しんでる。でもよく見ると難民の子どもたちの目は輝いている。という色んな意味がある服なんですけど、あれが衣装や服というものでメッセージを発信して行こうと思った第一歩です。実はこの衣装も同じブランドで、全部点字で、夢とか希望とか思いやりとか、笑顔と書いてあります。
――あの「ガイア」の衣装が、ライブの時にぶわっと舞うのが格好良かったです。
SUGIZOさん:ありがとうございます。あれはぶわっとなると、(衣装の)裏側の難民の子どもたちが目を輝かせているのが見えるんです。
――お客さんも含めて知ってほしいというメッセージですか?
SUGIZOさん:お客さんにはそろそろ次の段階に行ってほしいですけどね。
――では、今日来てくれたお客さんは一歩踏み出した方たちということでしょうか?
SUGIZOさん:また素晴らしいことがあって、今日来てくれたお客さんの多くは被災地にボランティアに行ってくれているんです。7年前かな、僕がボランティアに2回目に行くときに(石巻)、ファンの皆に投げかけたの。50人くらい集まって、ファンの方々なんですけど、ボランティア仲間にもなった人たちがいて、結構今日来ていました。だから、僕らが被災地にボランティアに行きたいという気持ちと難民の皆さんに少しでも何か支援をしたいという気持ちは、実は同じ回路だと思うんですよ。なので、今日足を運んでくれた皆さんが次の一歩を踏み出してくれる、いいきっかけになったらいいなと思っています。
支援とは何なのか
このコラムを書きながら、アレッポの街について調べてみた。
世界文化遺産に登録された、古代都市アレッポのかつての美しさと、映画にも映し出された破壊された街が、同じものだとは思えない。
何千年もの歴史がある美しい都市に住んでいた人たちが、その場を離れられない理由がわかる気がします。(逃げた先で迫害される可能性があることなども理由だそうですが)
そして、まもなく(10月6日現在)パレスチナに行くSUGIZOさん。
10日間ほど滞在し演奏会などに出席して支援をするそうです。
SUGIZOさんが、「難民支援活動」を“趣味”“生きがい”とおっしゃったのが、とても潔く、しっくりきました。
「居ても立っても居られないから。」 「娘を病院に連れて行くのと同じ。」
ファンとして私が知る限り、SUGIZOさんはLUNA SEAとX JAPANを掛け持ちし、ソロライブも精力的にこなし、音楽活動だけでも多忙を極めていて、どこからそのエネルギーが湧いてくるのかと思っていました。
しかし、“生きがい”として、難民キャンプに行って音楽や物資を届け、東北や水害のあった岡山などにボランティアに行く。
「自分が動けるならば苦しんでいる人に手を差し伸べたい、という“本能”に従っている。」
「自分に何ができるか全力で行動していると、不思議なことに何とも言えない喜びがある。」
そう話してくれました。
私は、支援をすることは、力を貸すこと、助けること、と思っていましたが、実は支援する側が受け取るものはそれ以上のものなのだとSUGIZOさんのお話を伺って気付かされました。
何に、どのような支援をするかは、人それぞれ状況や環境によって違うと思いますし、するもしないも個人の自由。
でも、私は、助けを必要とする人に気付いたとき、出会ったとき、その誰かのために迷わず行動できる自分でいたいと強く思いました。
UNHCR難民映画祭2018 – Refugee Film Festival
http://unhcr.refugeefilm.org/2018/