改めて沖縄と平和について考える
長編ドキュメンタリー『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』 2部作で沖縄戦後史に切り込んだ佐古忠彦監督。
個人的には、TBS「筑紫哲也のNEWS23」のキャスターのイメージが強い佐古監督。今回お話を伺うと、沖縄という場所への思い入れは、筑紫哲也さんの言葉が深くかかわっていると話してくれた。
私自身、10年以上前になるが、ひめゆりの塔で語り部をしている元学徒の女性の講演会の司会をした経験がある。その時のお話にあった南風原壕群をその後訪れた。現場保存のためライトは極力つけずに、暗がりの中、ボランティアガイドさんの話を聴きながら奥へと進む。南風原の壕には負傷兵が運び込まれ、軍医、看護婦、衛生兵、女学生(ひめゆり学徒)らが医療活動を行っていたそうだ。壕の重く湿った空気は忘れることができない。
今作、『生きろ 島田叡 —戦中最後の沖縄県知事』にも多くの壕(自然洞窟)が出てくる。壕から壕へ移動し、身を潜めた人々の心の内はどんなものだったか。
島田叡は、日本軍の敗色が濃厚な1945年1月31日、沖縄県知事に着任した。食糧確保など、住民第一主義の信念のもと、さまざまな施策を行うが、軍部の理不尽な要求と板挟みになり、苦渋の選択を迫られる。
捕虜になるよりも自決や玉砕が美徳とされた時代、島田は「生きろ」と言い続けていた。
戦中、島田と関わった人々の貴重な証言が、そんな戦中最後の沖縄県知事・島田叡の姿を浮き彫りにする。
島田叡の語りを佐々木蔵之介が、そして小椋佳の主題歌「生きろ」はオリジナルで制作された。
今回は、“人間・島田叡を描きたかった”と語る、佐古忠彦監督に単独インタビューさせてもらった。
シネマクエスト 神取恭子のシネマコラムvol.175 映画『生きろ 島田叡 —戦中最後の沖縄県知事』 佐古忠彦監督インタビュー
(私が見学をした沖縄陸軍病院南風原壕群20号をはじめ見学コースが整備されたようです。※新型コロナウィルス感染拡大防止のため壕内部の見学は休止中。詳しくは→https://www.haebaru-kankou.jp/index.php/peace-education/military-hospital.html)