窮鼠の行く末は?
初めてのリモートインタビューでした。
公開延期になっていた『窮鼠はチーズの夢を見る』(9月11日(金)公開)。
行定勲監督には『劇場』に続いての取材となりました。
『劇場』は、互いに寄り掛かり、安住の地を求める男女の話でしたが、今作は男性同士の恋愛。
関ジャニ∞の大倉忠義さんが、これまで流されるままに恋愛をしてきた恭一を。成田凌さんが、大学時代から先輩の恭一に思いを寄せる今ヶ瀬を演じています。
かなり濃厚なシーンもあります。
それも含めて、今ヶ瀬が恭一の家に入り浸るようになってからの2人の距離感。
むずむずするほど可愛らしかったり、どうしようもなさに歪む姿が美しかったり…。
2人の間に入り込むことができない女たちの虚しさに共感したり…。
当初の公開予定は6月でしたが、夏の終わり、秋の始まりのもの悲しさにもとても似合う作品だと思います。
窮鼠とは、追い詰められ窮地に立たされたネズミのこと。追い詰められた先で何をみつけるのでしょうか?
今ヶ瀬は女性を凌駕する
ーー水城せとなさんのコミックを映画化。監督流のコミックを映像化する上でのこだわりは?
行定監督:長年、漫画の映画化をやっていなかったんですね。『リバーズ・エッジ』は僕の中で特例です。岡崎京子さんの作品は文学に近いと理解していたので、特例でやったつもりだったのですが、今回の『窮鼠…』の企画者の方がどうしても僕に映画化してほしい、ということで、この漫画を読みました。水城せとなさんの作品は、“恋の指南書”に近い。名言だらけなんですよね。構造的にも飽きさせない展開がありながら、ちゃんとそれぞれの思惑があって、その感情の持ち方が男性同士が恋愛していると分からずに介在してる。恋愛についてのプロセスが克明に描かれた漫画だと、脚本家とも話し合いました。
でもこれをそのまま映画化すると、ずっと内情を語っている映画になってしまう。昨今、若い監督が映画化する作品はそういうものが多い気がして(笑)。まるで音楽のように言葉を詰め込んだ作品が面白いと言われているのに乗れない自分がいたりもしました。どうしても映画は感じ入るものだと思っているんですね。若者たちが作る映画とは違うものにしたかった。
それで脚本家と話し合ったのは、言葉を削ぎ落すこと。一点集中にしましょうと。たくさんの名言があるのであれもこれも残したいけど、“ここに向かっていく”という名セリフをまず抜き出しました。それが「心底惚れるって、すべてにおいてその人だけが例外になってちゃう、ってことなんですよね」という今ヶ瀬のセリフです。ここに向かうための映画が作りたかった。観た人たちがこれを聴いたときに腑に落ちる作品。勇気を持って漫画の豊かな場面やセリフをある種抑え込むことで、男同士の恋愛が浮き彫りになるようなドラマチックな展開を目指しました。
ーー成田さん演じる今ヶ瀬の魅力に女性も男性も誰もがキュンとなるのでは?と思いました。大倉さん演じる恭一と今ヶ瀬をより美しく撮るために工夫されたことは?
行定監督:美しく撮るという気持ちは持ってなかったんです。男同士が気持ちを探るというのは、演者も僕自身も知りたいわけですよね。大倉忠義の心情と自分は同じような感じだったと思います。もともと脚本の堀泉杏が仕掛けたことがテキストになっていて、女性の原作者、女性の脚本家が、自分たちの中にある男たちに対する問いかけというか…。結局、ゲイとか云々ではなく、人が人を愛するとはどういうことなのか、女性たちが男たちに問いかけている感じだったんです。それが同姓だった故に、より純度が高く感じられる。その純度の高さに見合う画が、光の中で佇むふたりだとか、抱き合うふたりに繋がっていったと思います。僕はなるべく生々しくするつもりでやっていたので、それが美しいと言われると不思議な感じがしますね。
ーー恭一と今ヶ瀬がソファで並んでお菓子を食べたり、耳かきをする可愛らしいシーンも好きなのですが、監督が一番いいなと思うシーンは?
行定監督:こだわっているのは、二人が結ばれた後の朝。台所に立つ二人が素っ裸なんですよね(笑)。あの素っ裸が重要で、台所のシンクに向かう恭一と今ヶ瀬のお尻が見える。全裸の2人の在り方が全部のキーになっているんです。あのシーンが一番撮りたかったのかもしれないと思っています。日常の中で男同士がすべてをさらけだす、というのは自然なんですよね、同じものを持っているわけだから。僕がもしああいう状況になったら、照れくさくてパンツをはいてしまったり、前を隠して、急に空々しい態度をとられると傷つくんじゃないかとか。相手の心情を考えながらお互いが距離を縮めようとしているところをうまく表現できないかなと。だから、あの朝を撮りたかったんです。
恭一の部屋の間取りも、あの朝が起点になっています。ベッドがあって、直接シンクが見える。ベッドルームと分けない。あとは、椅子ですかね。椅子に座る素っ裸の今ヶ瀬が恭一を上から見下ろしている。あのハイチェアの椅子は特注で作ったんです。不自然なハイチェアなんですよ。昔、『バーディ』という映画があって、素っ裸で背中を丸めて鳥のように座っている主人公・バーディがタバコを吸っているというのが、僕の中の今ヶ瀬像でした。
ーー今ヶ瀬のしぐさや表情については成田さんとお話になりましたか?
行定監督:友人のゲイの人たちと話していると、とにかく目が印象的なんですよね。目が潤んでいるんです。“あの潤んだ目ってどうやったらできるんでしょうね?”というのが(成田との)共通認識でした。本番前に目薬をするしかないねと話していたら、彼はそこに持ってきましたね。びっくりしました。初日は学生時代の回想シーンから撮ったんですけど、18歳の今ヶ瀬の目がすっかり潤んでいて、子犬のような目をしていました。大人になって恭一と再会した今ヶ瀬は、最初の距離感があるうちは違うんだけど、だんだん恭一の部屋に入り込んできた辺りから、目が可愛いんですよね。そこが女性に対峙できる術で、彼はちゃんとやり切ったなという印象です。
ーー女性にも、今ヶ瀬にも流されていく恭一ですが、モデルはいるのでしょうか?
行定監督:僕は恭一の感情は理解できるんですよ。常に後ろめたさを抱えながら、皆に対して良くありたいと考える人ですよね。そういう人が一番モンスター的な人間なんですよ。実は本人は皆に幸せになってほしいと思っているけど、自分という存在はひとつしかないから、取り合いになられても困るみたいな感じで、冷めているようにも見える。という話を大倉くんとはしていました。優しさが仇になる人間っているでしょ?と。優しいって実は人をむしろ傷つける入り口なので。僕は恭一には共感しながら演出していました。
ーー監督はこの作品を男性に観てほしいと話されていますが、その理由は?
行定監督:僕がこの作品を非常に面白く観られるんですよ。BLやLGBTQってジャンル分けするでしょ?どこかで区別意識がある。“差別”じゃなくて“区別”ね。若い頃すごく良くしてくれたバイト先のゲイの店長に、「あんたたちね、私のことを色眼鏡で見て差別してるでしょ。差別はしないで!でも区別はして!」と言われたんです(笑)。その言葉がものすごく僕の中で礎になっている。男が男を好きになるはマイノリティのようだけど、日本の文化では江戸時代から春画とかにも残されている。でもいつしかすごく不快なことをいう人が出てきて差別をする。差別じゃなく区別。そこに良さがある。特別なんですよ。そういう風に観せられるかどうか“もしかしたら無くは無いよね”というところまで行きたかった。
そのために、成田を焚きつけました。「成田凌の力を持って女優たちを凌駕してくれ」と(笑)。凌駕してるよね!可愛いんだよね!女優さんたちもものすごく可愛いんですよ。でも女性の若さを持っても勝てない。やっぱり恋愛は特別なものを探しているんですよ。それは男女においても同じことで、女性に対して特別だと思えるかどうか。だから苦しいことも受け入れたり、納得いかないことも解決しようとするんだろうな、ということを原作から得ました。男の人が観るとこそばゆい部分がたくさんあると思います。むしろ男の心情で描かれているから、“あれ?男、アリなんじゃない?”と思う人がいるんじゃないかな。そう感じてくれると面白いなと思っています。